“ずっと以前、大学の同級生がこんなことを言っていた。 「科学なんて人間を不幸にするだけだ。環境を破壊し、森林を奪い、海は汚れている。科学の発達が人類を豊かにするなんて幻想だ。電気なんか我々の生活に必要ないんだよ」 じゃあ電通大になんて入るなよ、と思ったけれども、僕はそれ以前の段階でこの主張に疑問を感じた。 「それじゃあ聞くけど、君はなぜ、科学が環境を破壊し、森林を奪い、海が汚れていると、それを知ることができたんだい?」 「それは本を読んだからだよ。沢山の本をね」 そうか。その分厚いメガネを使って、グーテンベルグが開発した活版印刷と、19世紀にドイツで生まれた苛性ソーダを用いた近代製紙技術の発達により、貴族でもない人間がその知識を得ることが出来たわけだ。 この構造の滑稽さは科学技術を否定するための知識そのものが、科学技術によって齎されているというパラドックスだろう。中途半端な科学知識で安易に科学が人類の発展を阻害しているなどと心配をする人間を産み出してしまった点において、科学はまだ未熟なのかもしれない。科学技術がなければ、彼は不衛生な出産で乳幼児の頃に疫病に冒されて死んでいたかもしれないのに。 「今の科学にはこういう問題がある」ということが、すなわち「科学は必要ない」ということには決してならないはずなのに、科学に問題があるから、科学をやめようという馬鹿げた主張がときたま繰り返される。科学は問題を解決するための手法であり、科学的に問題が明らかであれば、それを解決する科学的な道が別にあるはずだと考えるのが科学の根本だと思う。 そしてそんなことを言う人ほど、海外でボランティアをするのが好きだ。実際、彼は海外NGOに所属し、カンボジアだかベトナムだかでボランティアをしていた。 航空力学とジェットエンジンを彼らはなんだと思っているのだろう。 それは科学技術ではなく黒魔術かなにかだと思っているのだろうか。 徒歩では到底行くことが出来ないほど遠くの国で、どんな悲劇が起きているかということ、それ自体を知らしめたのも、また科学の賜物だと言うことにどうして無頓着で居られるのだろうか。 ANAで東シナ海の上空を通過したとき、ふとそんなことを思い出した。”
— 科学技術が人を不幸にするとき - UEI shi3zの日記 (via yellowblog)